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THE BELKAN WAR ASSAULT RECORDS Vol.2
(花 at 05/03 02:41)
[5/7ページ]

山霧


No.069 Dominic "VULTURE" Zubov ドミニク・ズボフ
Schwarze Leader/Mig-31

38/MALE/YUKE

95.05.28 「バトルアクス作戦」にて行方不明
第13夜間戦闘航空団第6戦闘飛行隊所属。戦中はエスケープキラー
と呼ばれ友軍からも恐れられる。終戦後、戦犯を逃れる為逃亡。
現在はオーシアで暮らすとの情報もあるが、真偽の程は不明

TACネーム:トート
※スペル等不明

ベルカ空軍第13夜間戦闘航空団第6戦闘飛行隊
ドミニク・ズボフ少佐
ユークトバニア出身のドミニク・ズボフをベルカのエースの一員として同列に
語ることに対して、異議を唱えるものも多いだろう。しかし、彼に関する情報が、
常に断片的であり、かつ極めて限られたものである一方で、その情報の端々は、
ズボフは紛れも無く語り継がれるべきエースパイロットの一人であることを
主張している。ズボフがユークトバニア空軍に入隊した時期に関する公式記録
は現時点では存在しない。彼がユークトバニア時代に所属した部隊は、
ユークトバニア南部国境地帯で1986年に勃発したチュメニ紛争、及び翌年の
ロムヌイ共和国におけるヘウム政権によるクーデター鎮圧において多くの犠牲
を払いながらも戦況打開において多大な功績を果たしたとされる。第9師団
第112戦闘飛行隊であったとみられている。チュメニ紛争において最大の激戦と
いわれたジトミル制空戦においてズボフの所属する部隊は、8割の作戦機を
損耗する大損害を受けつつも、カルガ共和国空軍の北部方面隊をほぼ壊滅
状態に追いやった。血の洗礼を浴び生き残った数少ないパイロット達の
ほとんどが精神的ショックによって除隊するほどの激戦であったとされている。
その中で唯一正気を保っていたのが、彼、ドミニク・ズボフであった。
ユークトバニア空軍に在籍した職業軍人としての彼の時代は、実際の所極めて
短いものであった。
ズボフはユークトバニア空軍を除隊した後、ロムヌイ共和国、ヴァルカ王国空軍を
報酬で戦う傭兵として渡り歩き、最終的に彼の彷徨はセレス海を越え、
1990年にベルカ空軍へと辿り着いた。
ベルカ人純血主義が色濃く影を落とすベルカ空軍において、いわゆる傭兵
部隊が存在した事実はあまり知られてはいない。ベルカ空軍はその組織力に
おいて「効率化」を最も重視していたが、その最たるものの一つが、この傭兵部隊
の運用であった。いかなる軍組織にとって課題となる最前線における士気の
維持は、ベルカ空軍にとっても同様に切実な問題であった。この問題に対し
ベルカ空軍がとった方策が、外国人傭兵部隊による戦線の監視任務であった。
監視任務といえば聞こえは良いが、実際の所は逃亡した機に対する無条件の
発砲権を持つ督戦任務である。味方に対して銃口を躊躇無く向ける任務に
ベルカ人をあたらせることにはベルカ軍部上層部の大きな反発があったとされて
いるが、なかば強行的に組織編成されたとされている。その背景には、急速に
変遷する戦況に、ベルカ空軍の組織が十分に追いついていなかったという現実が
垣間見える。督戦部隊が配置された第13夜間戦闘航空団は別名、特殊戦部隊
とも呼ばれ、公式記録に残ることのない数々の極秘任務を遂行した。
督戦部隊の存在を公のものにすることに抵抗を感じていたベルカ空軍上層部の
意向がこの組織配置に反映されたと言われている。ズボフが第13夜間戦闘航空団
に加わった時期、ベルカは空軍力の充実化を急速に進めており、ズボフの属する
部隊はそれを影で支える形となっていた。
ズボフはその特異で謎めいた経歴によって語られることが多いが、その空戦術
においては手堅い戦法を取ることで知られていた。ベルカ空軍に移ってからは
MiG-31を搭乗機として使用し、その加速力をストレートに活かした戦法で、冷徹に
任務を遂行した。裏部隊で「活躍」するその戦績は決して華やかに彩られた
ものではなく、「ハゲ鷹」の異名には常に畏怖だけでなく、蔑みの念もこめられて
いたといわれている。しかし、その生涯に於いて数々の絶望的なまでに激しい
戦いの空を生き抜いてきたその腕は、仮に彼が表舞台に
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